借金まで相続するのはなぜか―相続放棄と限定承認から相続制度を考える
前回の記事「相続は何のためにあるのか―相続制度の3つの視点から考える」では、相続制度について、次の三つの視点から考えました。
① 相続人が有していた潜在的持分の顕在化・払戻し
② 遺された家族の生活保障
③ 権利義務関係の安定(取引の安全)
積極財産、つまりプラスの財産を相続する場合、この三つは比較的同じ方向を向いています。
しかし、被相続人が財産ではなく、多額の借金を残して亡くなった場合はどうでしょうか。
ここでは、相続制度が実現しようとしている複数の目的が、必ずしも同じ方向を向かなくなります。
そして、そのような場面で民法がどのような解決方法を用意しているかを見ると、相続制度が何を大切にしているのかが、さらに見えてくるように思います。
今回は、この問題を「相続放棄」と「限定承認」という制度から考えてみたいと思います。
なぜ借金まで相続するのか
民法896条は、相続人が被相続人の財産に属した「一切の権利義務」を承継すると定めています。
したがって、相続するのは預貯金や不動産だけではありません。
借入金などの債務も原則として承継します。
たとえば、父親が1000万円の借金を残して亡くなったとします。
相続人である子から見れば、
「なぜ父親が作った借金を、自分が払わなければならないのか」
という疑問が生じるでしょう。
生活保障という観点だけから考えるなら、この疑問はもっともです。
相続が遺された家族の生活を保障するための制度であるなら、被相続人の借金を相続人に背負わせ、その固有財産まで失わせることは、生活保障とは正反対の結果をもたらします。
しかし、視点を変えて、父親に1000万円を貸した債権者の側から考えてみます。
債権者は、父親に1000万円を返してもらえることを前提としてお金を貸しています。
それが、
「債務者が亡くなりましたので、借金はなくなりました」
となったのでは、安心して取引することができません。
人が死亡しても、その人をめぐって形成された権利義務関係まで当然に消滅させるわけにはいかない。
ここでは、**権利義務関係の安定(取引の安全)**という相続制度のもう一つの目的が現れます。
生活保障と取引の安全は、反対方向を向くことがある
被相続人が、
財産 0円
借金 1000万円
という状態で亡くなった場合を考えてみます。
相続人の生活保障という観点から見れば、1000万円の借金を相続人に負わせない方がよい。
ところが、
**権利義務関係の安定(取引の安全)**という観点から見れば、債務者が死亡したというだけで1000万円の債権を消滅させるべきではない。
前回の記事では、相続制度には複数の趣旨・目的があると考えました。
この債務超過の場面では、その複数の目的が、はっきりと異なる方向を向きます。
では、民法はどちらを優先しているのでしょうか。
私は、相続放棄や限定承認という制度を理解するためには、この問いが重要だと思っています。
そこで「相続放棄」が必要になる
民法は、相続人に相続を強制していません。
民法915条は、相続人に、単純承認、限定承認又は相続放棄という選択肢を与えています。
そして相続放棄をした者は、民法939条によって、
「その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす」
とされます。
これはかなり強い効果です。
単に、
「借金だけ払わなくてもよい」
という制度ではありません。
プラスの財産もマイナスの財産も含めて、その相続関係から離脱する制度です。
なぜ、このような制度が必要なのでしょうか。
もし相続制度の目的が、被相続人の権利義務関係を維持し、取引の安全を守ることだけにあるのなら、相続放棄など認めない方が簡単です。
被相続人の債務を相続人に当然に承継させれば、債権者にとってはその方が安心です。
それでも民法は、相続人に相続放棄を認めています。
私はここに、
相続は、相続人自身の生活を犠牲にしてまでも、被相続人の権利義務関係(取引の安全)を維持しようとする制度ではない。
という価値判断を見ることができるのではないかと思います。
限定承認は、二つの目的を調整する制度と見ることができる
さらに興味深いのが限定承認です。
民法922条は、
「相続人は、相続によって得た財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済すべきことを留保して、相続の承認をすることができる。」
と定めています。
たとえば、相続財産が1000万円あり、借金が1500万円あった場合を考えてみます。
限定承認をすれば、相続人の責任は相続によって得た財産の限度にとどまります。
ここには、非常に興味深い調整があります。
債権者の側から見れば、被相続人が残した1000万円の財産は債務の弁済に充てられる。
これは、権利義務関係の安定(取引の安全)を守る方向に働きます。
しかし、残りの500万円についてまで、相続人自身の預金や給与などの固有財産から弁済させることはしない。
これは、相続人の生活を守る方向に働きます。
そう考えると限定承認は、
相続財産については被相続人の権利義務関係を清算する。しかし、そのために相続人自身の固有財産までは侵食させない。
という制度だと見ることができます。
相続人の生活保障と、権利義務関係の安定(取引の安全)。
限定承認は、この二つの目的が衝突する場面で、その双方を一定程度実現しようとする制度と理解することができるのではないでしょうか。
最後は「相続人自身に決めさせる」
しかし、相続放棄と限定承認を並べてみると、私は、両者にはもう一つ重要な共通点があることに気付きます。
いずれの制度を選択するかを、最終的には相続人自身の意思に委ねていることです。
民法は、
「借金がこの金額を超えたら相続放棄をしなければならない」
とも、
「相続財産がこれだけあれば限定承認をしなければならない」
とも定めていません。
被相続人の権利義務をすべて承継するのか。
相続財産の限度で責任を負うのか。
それとも、相続関係そのものから離脱するのか。
その最終的な選択を相続人自身に委ねています。
相続放棄と限定承認では、生活保障と権利義務関係の安定(取引の安全)との衡量の程度は異なります。
相続放棄を選べば、相続人は相続関係から離脱します。
限定承認を選べば、相続財産の限度では被相続人の債権者を保護しながら、相続人の固有財産までは責任を及ぼさないという調整がなされます。
しかし、どちらの調整方法を選ぶかを決めるのは、最終的には相続人本人です。
私は、ここに相続制度の重要な価値判断が現れているように思います。
生活保障と権利義務関係の安定(取引の安全)が衝突したとき、民法は、取引の安全を理由として相続人に犠牲を強制するのではありません。
その限界を、相続人自身に決めさせている。
その意味では、相続法は究極的には、相続人の生活保障を権利義務関係の安定(取引の安全)よりも優先させていると見ることもできるのではないでしょうか。
もちろん、相続人は単純承認を選択して、被相続人の債務をすべて承継することもできます。
したがって、「生活保障のために必ず債務から相続人を解放する」という意味ではありません。
重要なのは、取引の安全のために相続人の生活を強制的に犠牲にすることはせず、その選択を相続人自身に委ねているという点です。
相続制度における生活保障とは、単に相続人に財産を与えることだけではなく、相続によって自分自身の生活をどこまで拘束させるかについて、相続人自身の意思を尊重することにも現れているのではないか。
私は、そのように考えています。
「潜在的持分」は、債務超過の場合にはどうなるのか
ここで、前回の記事で取り上げた「潜在的持分」に戻ってみます。
中川善之助博士の潜在的持分論は、家族が被相続人名義の財産形成に協力していた場合、その財産の中には実質的に家族の持分も潜在している、という考え方です。
通常、この議論はプラスの財産についてなされます。
しかし私は、前回の記事で一つの疑問を提示しました。
財産状態の形成に実質的に関与したという点を重視するなら、この考え方はプラスの財産にしか働かないのでしょうか。
たとえば、浪費癖のある長男が、父親に繰り返し金銭を要求していたとします。
父親は、
「車を買ってほしい」
「遊ぶ金を出してほしい」
「借金を肩代わりしてほしい」
という長男の要求に応じ、そのために借金を重ねた。
そして父親が1000万円の借金を残して亡くなった。
この1000万円は、法律上はもちろん父親の債務です。
しかし、その「負の財産状態」が形成された原因の相当部分に長男自身が関与しているとすれば、どうでしょうか。
私は前回、これを仮に**「負の潜在的持分」**と呼びました。
中川博士自身が、このような「負の潜在的持分」を論じているわけではありません。
したがって、これは中川博士の学説そのものではなく、潜在的持分という考え方を手掛かりとして私が考えている問題です。
しかし、プラスの財産について、その形式的名義だけでなく実質的な形成過程を見るのであれば、マイナスの財産についても、その形成過程を全く無視してよいのかという疑問は残ります。
浪費した長男にも相続放棄を認めるべきなのか
ここまで考えると、さらに難しい問題が出てきます。
先ほどの長男が、父親の死亡後、
「借金が1000万円もあるなら、私は相続放棄します」
と言ったらどうでしょうか。
実は、これに近い問題を扱った最高裁判例があります。
最高裁昭和42年5月30日判決(民集21巻4号988頁)の事案では、長男が自己の遊興費等のために借金をし、その返済のため、父親所有の不動産について無権代理で所有権移転登記をしていました。
その後、父親が死亡すると、長男は相続放棄をしました。
この相続放棄について権利濫用であるとの主張がなされましたが、最高裁は、相続放棄によって債権者に損害を与える結果となり、放棄者がそれを目的とし、又は認識していたとしても、民法が相続放棄の自由を認めている以上、その放棄を無効とすべきではないとして、相続放棄の効力を認めました。
相続放棄の自由をかなり強く保障した判例といえます。
私は、この最高裁の判断には、先ほど見た相続制度の価値判断が現れているように思います。
つまり、相続によって生じる結果について、最終的な選択を相続人自身の意思に委ねるという価値判断です。
相続放棄によって債権者に損害が生じる。
しかも、相続人自身がその結果を認識している。
それでも、そのことだけを理由として相続人に相続を強制することはしない。
権利義務関係の安定(取引の安全)が重要であることを認めながらも、それを理由として相続人の選択を奪うところまでは認めない。
私は、最高裁が相続放棄を権利濫用として無効とすることを認めなかった判断の根底にも、取引の安全のために相続人の生活を強制的に犠牲にせず、最終的には相続人自身の意思を尊重するという相続法の価値判断があるのではないかと考えます。
それでも相続放棄の自由に限界はないのか
もっとも、この判例について、民法学者の星野英一博士は、本件のような特殊な場合には、相続放棄を権利濫用と認める余地があると指摘しています。
私は、この指摘にも重要な意味があると思います。
先ほど考えた「負の潜在的持分」という視点から見ても、自らの浪費等によって被相続人の負担を増大させた者と、被相続人が自らの事業の失敗などによって作った債務を突然承継することになった相続人とを、全く同じように考えてよいのかという疑問があるからです。
もっと極端な例を考えてみます。
相続人となる長男が、
「父親名義で借金をできるだけ作らせ、その金を自分のために使わせておこう。父親が死亡したら、自分は相続放棄をすればよい。」
と最初から考え、故意に被相続人の債務を膨れ上がらせたとしたらどうでしょうか。
その場合にも、
「相続放棄は相続人の自由なのだから、何の問題もない」
といえるでしょうか。
私は、そこには限界があるように思います。
民法1条3項は、
「権利の濫用は、これを許さない。」
と定めています。
個々の制度や条文を形式的に適用すれば認められるように見える権利行使であっても、その権利を認めた制度の趣旨を著しく逸脱するような行使まで法が保護するとは限りません。
いわば、民法における**「伝家の宝刀」**ともいうべき一般法理です。
相続放棄について、最高裁がその自由を強く保障していることは、十分に尊重されなければなりません。
そして、それは先ほど考えたように、相続について最終的な意思決定を相続人自身に委ねるという相続法の価値判断とも整合します。
しかし、その自己決定を尊重することと、相続放棄という制度を意図的に悪用することまで保護することとは、別の問題です。
たとえば、自ら故意に被相続人の債務を膨張させ、その利益を享受したうえで、
「父親が死亡したら相続放棄をすればよい」
とあらかじめ計画していたような場合です。
相続放棄という制度が、債務超過の相続によって相続人自身の生活が害されることを防ぐために認められていると考えるなら、このような場合まで同じように保護する必要があるのでしょうか。
少なくとも、そのような極端な場合には、相続放棄の自由にも権利濫用法理による限界があり得るのではないかと私は考えます。
もちろん、これは通常の相続放棄について、その効力を容易に否定できるという意味ではありません。
むしろ最高裁判例が相続放棄の自由を強く保障している以上、権利濫用が問題となり得るとしても、故意に制度を悪用して他人に損害を転嫁しようとしたような、極めて例外的な場合に限られると考えるべきでしょう。
ここで重要なのは、
相続人自身の意思を尊重することを原則としながら、それでも制度の趣旨を著しく逸脱する権利行使については、民法の一般原則によって限界を画する余地を残す
という関係だと思います。
相続人の自己決定を尊重するという原則と、権利濫用という例外。
両者は矛盾するものではありません。
むしろ、相続放棄の自由を強く保障するからこそ、その限界を認めるとしても、それは一般条項が働かなければならないほどの例外的な場合でなければならないのではないでしょうか。
相続放棄と限定承認は、単なる「借金対策」ではない
相続放棄について、
「借金が多ければ放棄する」
限定承認について、
「財産と借金のどちらが多いか分からなければ限定承認する」
と説明することがあります。
実務上、それは間違いではありません。
しかし、それだけでは、なぜ民法がこのような制度を用意しているのかまでは見えてきません。
相続制度には、
相続人の生活保障
と、
権利義務関係の安定(取引の安全)
という、時として異なる方向を向く目的があります。
そして場合によっては、そこに潜在的持分の清算という視点も関係してきます。
相続放棄と限定承認は、このような複数の価値が衝突する場面について、それぞれ異なる調整方法を用意した制度だと見ることができます。
しかし、今回考えてきた中で、私は、その調整方法そのもの以上に重要なことがあるように思うようになりました。
どの方法を選ぶのかを、最終的には相続人自身に決めさせていることです。
被相続人の権利義務をすべて承継するのか。
相続財産の限度で責任を負うのか。
それとも相続関係から離脱するのか。
民法は、その選択を相続人自身に委ねています。
したがって、単純承認、限定承認、相続放棄という三つの制度は、単なる手続上の選択肢ではありません。
相続制度が持つ複数の目的を調整すると同時に、
その調整についての最終的な意思決定を相続人本人に保障する仕組み
として見ることができるのではないでしょうか。
相続人の生活保障と権利義務関係の安定(取引の安全)が衝突したとき、取引の安全を理由として相続人に犠牲を強制しない。
究極的には、相続人自身に決めさせる。
私は、ここに相続制度の重要な価値判断があるように思います。
そして、最高裁が、相続放棄によって債権者に損害が生じることを相続人自身が認識していた場合であっても、そのことだけを理由として相続放棄を権利濫用とはしなかったことも、この価値判断と無関係ではないのではないでしょうか。
私は、個々の条文を理解するときには、その条文だけを見るのではなく、
なぜ、その制度が必要なのか。
まで遡って考えることが重要だと思っています。
そして、この考え方は、相続放棄や限定承認だけの話ではありません。
相続財産を維持し、管理し、清算するために費用がかかった場合、その費用は誰が負担すべきなのでしょうか。
民法885条は、
「相続財産に関する費用は、その財産の中から支弁する。」
と定めています。
明治民法の起草者の一人である梅謙次郎博士は、この規定について、相続財産に関する費用は相続財産を保護するために必要なものであるから、その財産から支弁するのは「当然」であるという趣旨の説明をしています。
では、なぜ「当然」なのでしょうか。
そして、そもそも、なぜ相続財産を保護する必要があるのでしょうか。
次回は、今回まで考えてきた相続制度の趣旨・目的から、民法885条の「相続財産に関する費用」について考えてみたいと思います。
【参考文献】
中川善之助・泉久雄『相続法〔第4版〕』(有斐閣、2000年)
中川善之助・泉久雄編『新版注釈民法(26)相続(1)――相続総則・相続人』(有斐閣、1992年)
遠藤浩「相続の根拠」中川善之助先生追悼現代家族法体系編集委員会編『現代家族法体系4 相続Ⅰ――相続の基礎』(有斐閣、1980年)1~14頁
星野英一「相続放棄が有効とされた事例―被相続人を無権代理した相続人のした放棄も有効である」『法学協会雑誌』85巻5号(1968年)128~133頁
最高裁判所昭和42年5月30日判決・民集21巻4号988頁
最高裁判所昭和49年9月20日判決・民集28巻6号1202頁
民法第1条第3項、第896条、第915条、第922条、第939条


