相続は何のためにあるのか―相続制度の3つの視点から考える
相続というと、一般には「人が亡くなったら、その財産を配偶者や子が引き継ぐ制度」と理解されていると思います。
もちろん、それで間違いではありません。
民法896条も、「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と定めています。
しかし、ここで一つ疑問が生じます。
そもそも、なぜ人が亡くなったとき、その人の財産を相続人に承継させるのでしょうか。
「法律でそう決まっているから」というのは答えになりません。
なぜ法律がそのような制度を設けているのか。
相続制度の目的は何なのか。
個々の条文を理解するためには、その制度が何のために存在するのかまで遡って考える必要があると、私は考えています。
相続制度には、どのような目的があるのか
日本の相続法学に大きな影響を与えた民法学者・中川善之助博士は、相続制度の社会的な根拠について論じています。その議論から、現在の相続制度が果たしている趣旨・目的を考えると、後の研究において、おおむね次の三つに整理されています。
① 相続人が有していた潜在的持分の顕在化・払戻し
② 遺された家族の生活保障
③ 権利義務関係の安定(取引の安全)
中川善之助・泉久雄『相続法』でも、「相続の意義」に続いて「現代相続権の根拠」が独立した章として論じられています。
私は、この三つを、相続制度が何を実現しようとしているのかという「趣旨・目的」の問題として考えてみたいと思います。
1 潜在的持分の顕在化―本当に全部「亡くなった人の財産」なのか
第一は、「潜在的持分」という考え方です。
たとえば、父親名義の商店があったとします。
登記も預金も事業用財産もすべて父親名義です。
しかし、その商店を長年にわたり妻が手伝い、子も無償で働き、家族全体の協力によって財産が形成されたとすれば、それを形式的な名義だけを見て、
「これはすべて父親一人が形成した財産である」
と言い切ることには疑問があります。
中川博士は、家族員の労働について、その都度報酬が支払われなくても、その対価は、「いざ清算という時になると、表へ浮かび上がって来て、配分され」ると説明しています(中川善之助「家族形態と相続形態――相続権の根拠」134頁)。
つまり、被相続人名義の財産の中には、実質的には家族の協力によって形成された部分が含まれている。
相続は、被相続人が亡くなったことを契機として、それまで財産の中に潜在していた家族の持分を顕在化させる機能を持っている、というわけです。
これは、「親の財産を子がもらう」というだけの説明とはかなり違います。
見方を変えれば、もともと自分たちも形成に関与していた財産を、死亡を契機として清算するという側面が相続にはあることになります。
2 相続人の生活保障
第二は、生活保障です。
中川博士は、相続について、「他の構成員の生活保障が脅かされることを救う」ために死者の財産を一定の生存者に承継させる制度である、という趣旨の説明をしています(中川善之助『註釈相続法(上)』11頁)。
ここでいう「生活保障」は、生活に困窮している人だけを救済するという意味ではありません。
家族は、被相続人が生きている間、その財産を利用しながら生活しています。
家に住み、収入によって生活し、家族全体として財産を利用している。
ところが、財産の名義人が死亡したという一事によって、その財産が家族から切り離されてしまったらどうなるでしょう。
住んでいた家を失い、生活の基盤となっていた財産を失うことになります。
そこで、死亡によって途切れかねない生活関係を、財産を承継させることによって継続させる。
相続には、そのような機能があります。
私は、この「生活保障」という考え方は、相続法を理解するうえで非常に重要だと思っています。
相続財産を相続人に承継させること自体が目的なのではありません。
財産を承継させることによって、人の生活を守る。
財産は目的ではなく、そのための手段であると考えることができるからです。
3 権利義務関係の安定(取引の安全)
しかし、相続制度は相続人だけのために存在するわけではありません。
第三の根拠が、権利義務関係の安定(取引の安全)です。
たとえば、ある人が1000万円を借りたまま亡くなったとします。
もし、
「本人が亡くなったので借金も消滅します」
という制度だったらどうなるでしょう。
安心してお金を貸すことができません。
反対に、亡くなった人が誰かに1000万円を貸していた場合に、
「債権者が死亡したので、その債権も消滅します」
ということになっても困ります。
人が死亡しても、その人をめぐって形成されていた財産上の権利義務関係まで消滅させるわけにはいきません。
そこで民法896条は、一身専属的なものを除き、被相続人の「一切の権利義務」を相続人が承継するとしています。
ここでは、相続人の利益だけでなく、債権者や債務者など第三者の利益、さらには社会における取引の安定が問題になっています。
3つの根拠は、いつも同じ方向を向くのか
ここまでなら、三つの根拠は互いに補い合っているように見えます。
しかし、私はここで一つ疑問を感じます。
この三つは、本当にいつも同じ方向を向いているのでしょうか。
たとえば、亡くなった父親に、
財産 0円
借金 1000万円
しかなかったとします。
このとき、「生活保障」という観点から見れば、1000万円の借金を子に負わせることは、相続人の生活を保障するどころか、その生活を破壊しかねません。
ところが、「権利義務関係の安定(取引の安全)」という観点から見れば逆です。
父親に1000万円を貸した人にとって、債務者が死亡したというだけで債権が消えてしまうのでは困ります。
ここでは、
相続人の生活保障
と、
権利義務関係の安定(取引の安全)
が、同じ方向を向いていません。
相続制度の根拠とされるもの同士が、正面から衝突する場面があるわけです。
そして、私はここに「相続放棄」や「限定承認」という制度が存在する意味を考える手掛かりがあるように思います。
「潜在的持分」はプラスの財産だけなのか
さらに考えてみると、もう一つ面白い疑問が生じます。
潜在的持分という考え方は、通常、家族が財産形成に貢献した場合を念頭に説明されます。
しかし、「財産状態の形成に実質的に関与した」というところに着目するなら、これはプラスの場合だけの話なのでしょうか。
たとえば、浪費癖のある長男がいたとします。
長男が父親に、
「車を買ってほしい」
「遊ぶ金を出してほしい」
「借金を肩代わりしてほしい」
と要求し続け、父親がその要求に応じるために借金を重ねた。
そして父親が、1000万円の借金を残して亡くなったとします。
形式的には、もちろん父親の借金です。
しかし、その1000万円という「負の財産状態」を形成した原因の相当部分が長男にあるとすれば、どうでしょう。
プラスの財産について、
「形式上は父親名義でも、その形成に長男が関与したのだから、長男には潜在的な持分がある」
というのであれば、
マイナスの財産についてだけ、
「形式上父親の債務なのだから、長男はその形成とは無関係である」
と言い切ることには、少なくとも理論上の疑問が残ります。
私は、これを仮に**「負の潜在的持分」**と考えてみてもよいのではないかと思っています。
これは、中川博士がそのように述べているという意味ではありません。
中川博士の潜在的持分論は、家族の労働や協力による積極財産の形成を念頭に置いたものです。
しかし、その考え方の根底にあるものを「形式的な財産名義だけを見るのではなく、その財産状態が実質的にどのように形成されたかを見る」という発想だと捉えるなら、負の方向にも同じ問いを投げかける余地があるのではないでしょうか。
相続法は、対立する価値を調整する制度なのではないか
こうして考えてみると、相続制度は、
「亡くなった人の財産を家族に渡す制度」
というだけのものではありません。
そこには、
相続人の生活を守ること。
家族が財産形成に有していた実質的な持分を清算すること。
被相続人をめぐる権利義務関係を安定させること。
という異なる要請があります。
そして重要なのは、それらが常に同じ結論を要求するとは限らないということです。
むしろ相続法とは、これらの異なる価値を、それぞれの場面でどのように調整するかを定めた制度なのではないか。
私は、そのように考えています。
そう考えると、これまで単なる「手続の選択肢」として見ていた制度についても、別の姿が見えてきます。
なぜ、借金も含めて相続することを原則としながら、相続人には「相続放棄」という選択肢が与えられているのか。
なぜ、相続するか放棄するかの二者択一だけではなく、「限定承認」という中間的な制度まで用意されているのか。
そこには、今回見てきた相続制度の複数の目的が関係しているように思います。
次回は、この問題を「相続放棄」と「限定承認」から考えてみたいと思います。
【参考文献】
中川善之助「家族形態と相続形態――相続権の根拠」浅井清信編代表『末川博先生還暦記念 民事法の諸問題』(有斐閣、1953年)127~140頁
中川善之助責任編集『註釈相続法(上)』(有斐閣、1954年)
中川善之助「相続の生活保障的機能について」『学習院大学政経学部研究年報』第8号(1961年)1~18頁
遠藤浩「相続の根拠」中川善之助先生追悼現代家族法体系編集委員会編『現代家族法体系4 相続Ⅰ―相続の基礎』(有斐閣、1980年)1~14頁
中川善之助・泉久雄編『新版注釈民法(26)相続(1)――相続総則・相続人』(有斐閣、1992年)
中川善之助・泉久雄『相続法〔第4版〕』(有斐閣、2000年)


