なぜ相続放棄では代襲相続が起きないのか――相続とは、誰の財産形成なのか

相続放棄をすると、その子は相続できるのか
たとえば、祖父Aが死亡し、その子Bが相続人となったとします。
Bには子Cがいます。
A
↓
B
↓
C
もしBがAより先に死亡していれば、CはBに代わってAを相続します。
これが「代襲相続」です。
では、Aが死亡した時にBが生きていて、BがAの相続を放棄した場合はどうでしょうか。
この場合、CはAを代襲相続することができません。
民法887条2項は、代襲相続が生じる場合として、
・相続開始以前の死亡
・相続欠格
・廃除
を定めています。
そこに「相続放棄」はありません。したがって、相続放棄をした者の子は、その者を代襲して相続人になることはありません。
条文上の結論は明確です。
しかし、なぜなのでしょうか。
マイナスの相続なら分かりやすい
Aに多額の借金があったとします。
Bは、その借金を相続しないために相続放棄をしました。
その結果、今度はCが代襲相続人となってAの借金を相続することになったのでは、Bが相続放棄をした意味が薄れてしまいます。
BとCの意思も、
「この借金は相続したくない」
という点で一致する可能性が高いでしょう。
そう考えると、相続放棄について代襲相続を認めないことには合理性があるように見えます。
しかし、相続財産がプラスだったらどうでしょうか。
1億円なら、孫は相続したいかもしれない
Aが1億円の財産を残したとします。
Bは何らかの理由で相続放棄をしました。
しかし、Cは、
「父は要らないのかもしれないが、私は祖父の財産を相続したい」
と考えるかもしれません。
Bが相続したくないという意思と、Cが相続したいという意思は別です。
それなのに、なぜBが放棄したというだけでCまでAを相続できなくなるのでしょうか。
「Bの意思を尊重するため」と説明するだけでは足りません。
むしろBの意思をCにまで及ぼすことは、C自身の意思を尊重していないようにも見えます。
ここで、少し見方を変える必要があります。
Cは、そもそもAの相続人だったのか
Aが死亡した時にBが生きており、相続資格も失っていないのであれば、Aの子であるBが相続人です。
CはまだAの相続人ではありません。
つまり、Cが持っていたAの財産についての相続権を、Bの相続放棄によって奪われたわけではないのです。
Aの財産を相続するかどうかを決めるのはBです。
そしてBは、自分に与えられた相続について、承認することも、放棄することもできます。
ここで相続放棄の見え方が変わってきます。
相続放棄も財産形成上の選択である
人は生きている間、さまざまな財産上の選択をします。
土地を買うこともあります。
土地を買わないこともあります。
株式を取得することもあれば、取得しないこともあります。
財産を売却することもあります。
その一つ一つの選択によって、その人の財産は形成されていきます。
そして、その人が死亡した時に残っていた財産を、その人の相続人が相続します。
Bが土地を買わなかったからといって、Cが、
「その土地は将来自分が相続する可能性があったのだから、買ってほしかった」
とはいえません。
Bの財産を形成するのはBだからです。
相続放棄も、広い意味ではこれと同じように考えることができます。
ただし、法律的には、相続放棄は、いったん取得した相続財産を後から処分する行為ではありません。
民法939条は、相続放棄をした者について、「その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす」としています。
したがって、より正確にいえば、相続放棄とは、
相続財産を自己の財産として承継するか否かについての、財産形成上の選択
と考えることができます。
相続放棄と登記についての最高裁判例
このような相続放棄の性質は、「相続放棄と登記」についての最高裁判例にも表れています。
最高裁昭和42年1月20日判決は、相続放棄によって相続分が帰属することになった他の相続人は、登記がなくても、放棄者の債権者にその権利を対抗できるとしました。
相続放棄を、
「Bがいったん相続財産を取得し、その後の相続放棄を原因として他の相続人がその財産を取得する」
と考えるのであれば、不動産については登記による対抗問題が生じそうです。
しかし、そうではありません。
相続放棄によって、放棄者は初めから相続人ではなかったものとして扱われます。
つまり、相続放棄とは、いったん取得した財産を処分する行為ではなく、そもそもその相続財産を自己の財産として承継するか否かを決める行為なのです。
すると、問いが逆だったことに気づく
ここまで考えると、
「なぜ相続放棄では代襲相続が起きないのか」
という最初の問いそのものを見直す必要があります。
むしろ問うべきなのは、
なぜ死亡・欠格・廃除の場合には、例外的に代襲相続を認めるのか。
ということではないでしょうか。
相続放棄の場合、Bは自分自身についての財産形成上の選択をしています。
BがAの財産を承継しなかった結果、B自身の財産はそのように形成されます。
やがてBが死亡すれば、Cは、そのようにして形成されたBの財産を相続します。
これは特別なことではありません。
むしろ、通常の財産承継の姿です。
それでは、なぜ死亡・欠格・廃除の場合だけ、AからCへ直接相続させるのでしょうか。
死亡――本人には選択する機会がなかった
まず、死亡の場合です。
Aより先にBが死亡していれば、Bには、
「Aの財産を相続するか、放棄するか」
を決める機会そのものがありません。
B自身による財産形成上の選択は、そもそも存在し得ないのです。
そこで法律は、Bの子であるCを代襲相続人として、C自身にAの相続についての地位を与えます。
そしてCは、自分自身の意思によって、その相続を承認することも放棄することもできます。
欠格・廃除――本人の責任を、その子に負わせない
では、欠格・廃除はどうでしょうか。
ここは死亡とは違います。
相続欠格は、民法891条所定の重大な非行があった場合に、法律上当然に相続資格を失わせる制度です。
廃除も、虐待、重大な侮辱その他の著しい非行などを理由として、被相続人の意思に基づき相続権を失わせる制度です。
広い意味で考えれば、中間者Bは、自らの行為によって自らの相続資格を失ったともいえます。
いわば「負の財産形成行為」と見ることもできるでしょう。
それでも民法はCの代襲相続を認めています。
なぜか。
ここには、もう一つの原理を見ることができます。
Bの行為について責任を負うべきなのはBであって、Cではない。
Bに相続権を失わせるだけの事情があったとしても、その非行について何ら責任を負わないCまで相続上の不利益を受ける理由はありません。
そこで法律は、Bの非行による法的効果をB自身にとどめ、Cについては、Bにその非行がなかった場合に準じて扱います。
その結果として、Cに代襲相続が認められると考えることができます。
同じ個人主義が、正反対の結論を導く
こうしてみると、一見すると正反対に見える二つの制度の底に、同じ考え方を見ることができます。
相続放棄では、
B自身の財産形成についてのB自身の意思を尊重する。
だから、その選択をCによってやり直すことはしません。
欠格・廃除では、
B自身の非行についての責任はB自身に負わせる。
だから、その責任をCにまで及ぼすことはしません。
つまり、
一人の人間の意思と責任を、別の人間の意思と責任と混同しない。
ここに、民法の個人主義を見ることができます。
相続放棄について代襲を認めないことも、欠格・廃除について代襲を認めることも、結論は正反対です。
しかし、その根底にあるものは同じです。
一人ひとりを、独立した権利主体として扱うことです。
相続放棄の自由は、債権者との関係でも尊重されてきた
この考え方を示すもう一つの興味深い判例があります。
最高裁昭和49年9月20日判決は、相続放棄は詐害行為取消権の対象にならないとしました。
最高裁は、相続放棄は既得財産を積極的に減少させるというより、財産の増加を妨げる行為であることに加え、相続放棄を取り消すことを認めれば、相続人に相続の承認を強制するのと同じ結果になってしまうことを理由としています。
ここでも、
相続するか、相続しないかは、まず相続人自身が決める。
という考え方を見ることができます。
もっとも、この判例については、債権者保護との利益衡量から相続放棄にも一定の場合には詐害行為取消権を認めるべきだという有力な批判もあります。
この問題については、また別の機会に考えてみたいと思います。
代襲相続から見えてくるもの
代襲相続というと、
「親が先に亡くなっていたら孫が相続する制度」
という説明だけで終わってしまいがちです。
しかし、
「なぜ相続放棄では代襲しないのか」
と問い始めると、その背後にある相続制度の姿が見えてきます。
相続放棄では、本人の意思を尊重する。
死亡の場合には、本人に意思決定の機会がなかったため、次世代にその地位をつなぐ。
欠格・廃除では、本人の責任を次世代に負わせないため、次世代にその地位をつなぐ。
そこに共通しているのは、
その人の意思はその人のもの。
その人の責任はその人のもの。
という考え方ではないでしょうか。
相続制度は、単に血縁に沿って財産を移していく制度ではありません。
一人ひとりを独立した人間として、その人の財産、その人の意思、そしてその人の責任を区別しながら、財産承継のあり方を定めています。
一見すると技術的にしか見えない代襲相続という制度の中にも、民法の根底にある個人主義と自由主義を見ることができるのです。


