民主主義と時間
民主主義の本質は話し合いと述べました。
それは、話し合うことで自由主義を包摂できるからです。
また、話し合うことができる唯一の生物、それが人間です。そうであれば、民主主義の採用は人間にしかできないことです。つまり民主主義は人間ならではの能力や知恵の産物なのです。
民主主義という知恵とはなんでしょうか。それは話し合うことで人間の多様性を活かすことにあります。話し合うことによって個々の知識や能力を結集させ、より良い判断を行えるようにしたことです。歴史が物語るように、話し合いなき時期、話し合いなき場所に、人間の大きな過ちがあります。
さて一方で、話し合うことには時間がかかります。人間が多くなればなるほど時間がかかります。そうなると時間をかけずに自分の思い通りに実行したいと考える人が出てくるでしょう。とくに大多数の人が同じ意見の場合には、いちいち少数意見を聞く時間がもったいないと大多数の人が思うでしょう。ここで話し合いをやめてしまい多数決で決してしまうと、自由主義を排除し人間の知恵も排除してしまうことになります。
さらには、もうめんどくさいからドカーンとやってしまえ、武器を使って黙らせてしまえなどという段階に至れば、自由も知恵も跡形もありません。
民主主義は本質的に時間がかかるのです。いや、民主主義は時間をかけるのです。時間がかかることを悪とする経済的効率性などには馴染みません。効率という価値を優先してしまいがちな私たちは、意識して民主主義に潜む知恵に思いを馳せなければなりません。かかると捉えるのではなく、かけるのです。それは非効率ではなく、知恵であり民主主義なのです。