投票することの意味
存在証明と同義
選挙における投票であれ、国民投票であれ、住民投票であれ、それら投票権を行使することは、民主主義社会において投票者が自由な市民として存在していることの証である。※「なぜ投票しなければならないのか」を前提とします。参照して下さい
逆に言えば、投票すらしない者は、社会に存在していないか、あるいは自由を奪われ他人の意のままに操られる家畜のような存在であることと同じである。
つまり、投票することは、民主主義社会において、自由を有する市民としての存在証明である。
そうであるから、社会に存在していない人以外は、呼吸をすることと同じように、投票するのである。
他者の自由を阻止する力
もっとも、投票することには、投票者である「私」が、私と違う選択をした投票者である「あなた」の自由を阻止する力があることを忘れてはならない。民主主義社会における自由の本質は、私の自由の主張にあるのではなく、あなたの自由への配慮にあると述べてきた。それは、投票する場合でも変わりはない。
対立する主張を持つ他者が生きる環境に思いを巡らしてみる。自分が同じ立場ならどうかを考えてみる。対立する主張を十分に踏まえて、自分の主張に改める箇所がないかを何度も問い直してみる。自分の選択が適った場合に、他者の状況がどうなるのか想像してみる。それが公正・公平な社会の実現に結びつくことなのかを論考してみる。等々、投票に至るまでに慎重な検討を経る必要がある。
人気に支配された感情的投票や、自分が属する組織に促された投票なら、しない方がよい。そのような投票は、投票者が、自身の自由に対する自覚も無いままに、極めて無配慮に対立投票者の自由を奪う行為だからである。そのような投票は、その価値を失っている。
あえて言えば、経済力を梃子に個人の投票行動を牛耳るような団体の存在は、害悪そのものである。資本主義と民主主義は区分されなければならない。なんのための投票の自由かをよく考えてみて欲しい。そして、卑しい団体に自分自身を売り渡すことをしてはいけない。
自分の自由を阻止する力
また、投票に係る問題について一定の見識を有し、それを判断するための自己基準(規範)を確立していることが必要である。争点となっている問題についてなんの見識も無く、自己基準を持ち合わせていなければ、劇場型政治家のアジテーションの餌食となる。
たとえば、憲法改正が争点となっている投票で、憲法とは何かを知らなければ、現代の状況に合わせて憲法を変える必要があるなどという三流政治家の極めて浅薄な主張に踊らされてしまうことになる。
投票後しばらくして、居心地の悪い社会になったことに気付いても後の祭りである。それはつまり、自分の不見識が自分の自由を阻止する力になったということである。自分の自由だけではなく、他者の自由についても然りである。
投票することとは
投票することとは、あなたそのものの表示である。あなたはどういう人間なのか。
あなたはそれをどう表示するのか。