相続と成年後見制度との関係について
成年後見制度においては、成年後見人が、職責である成年被後見人の財産管理をする上で、遺産分割においては成年被後見人の法定相続分は最低限として確保するよう運用されていますが、以下は、成年被後見人の法定相続分を下回る内容の遺産分割協議について、その合理性を成年後見人として裁判所に説明した文書です。
上 申 書
○○家庭裁判所御中
現在、成年被後見人が相続人に含まれる同人の兄を被相続人とする遺産分割協議を、添付しました遺産分割協議書案(以下、単に「協議書案」といいます。)のとおりの内容で決着すべく調整しております。協議書案の中で、現金の分割方法が、成年被後見人の法定相続分を侵害する内容となっておりますので、この点につき成年後見人の判断機序をご説明申し上げ、当該分割方法のご承認をいただきたく上申いたします。
1.相続人間における調整の必要性
(1)基礎となる事実
本件遺産分割協議において、相続人である被相続人の甥(代襲相続人)と弟(成年被後見人)の2人の間での調整が特に必要となる理由は、被相続人と各人との関係性及び親密性に大きな隔たりがあるためです。
被相続人である兄と妹(被代襲者)及び弟(成年被後見人)は年齢が離れていることもあり、両親の死亡(昭和○○年)後においては、兄が両者を親代わりに養育しました。その時期の兄への恩義を忘れなかった妹は、独立後も兄と親密に交流し、兄に対する様々な援助を行ってきました。例えば、兄の晩年には、兄を呼び寄せるために○○市の自宅にリフォームを施すなどしていました。そのような兄と妹の関係性は、兄と代襲相続人である甥との間にも引き継がれ、甥は兄が亡くなるまで様々な支援をしてきました。さらに、甥は、兄が亡くなった後も、兄のお骨を○○市にある自身の菩提寺に納骨するなど、死後の手当も行ってきています。それに対して、弟は、自身が独立後において兄と一切交流しませんでした。独立後から亡くなるまで、顔を合わせることも1度もなかったのです。弟は兄の所在すら知りませんでした。このような親族間における関係性及び親密性の違いがあったことから、兄は遺言書を作成して遺産の全てを甥に相続させる意思を有していました。実際、甥はその意思を何度も兄から直接聞かされていました。しかしながら、兄は遺言書を作成しないまま亡くなったのです。
以上の事実が、遺産分割協議に影響を与えています。すなわち、甥は、被相続人と交流し支援してきたのは私の父及び私であり、少なからず金銭の出費をしてきたこともあり、遺産を全くの音信不通であった弟と按分することは公平とはいえず納得できないと主張しています。ましてや、兄から全ての遺産を相続させる旨を直接伝えられていたのですから、その主張は十分理解できるものです。もっとも、甥は、遺言がない場合においての相続分については理解しており、甥らの兄への献身に一定の配慮を尽くして協議すれば合意する意思を表明していました。その一定の配慮を尽くして協議した結果が協議書案であり、甥は協議書案の内容を承諾しています。
(2)相続制度と成年後見制度の関係性
成年後見人としては、職責である成年被後見人の財産管理をする上で、遺産分割においては成年被後見人の法定相続分は最低限として確保するよう運用されていることは認識しております。しかしながら、遺産分割等の相続制度と成年後見制度の関係性を考えれば、両制度の性質上、本来的には、公平かつ円滑な相続制度の実現のために成年後見制度は機能するもの、つまり、相続人に意思表示能力不十分な者がいる場合に、その特性ゆえにその者が不公平な扱いを受けないように、そして相続手続を滞らせることがないように機能するものであるはずです。それは、原則として、全相続人が意思表示可能な通常の相続の状況を保持する範囲で機能するもの、つまり、成年後見制度は相続制度の枠組みの中でかつそれを壊さない範囲で機能するものであるはずです。そうすると、事実上成年後見制度が相続制度を規制してしまうような運用は行き過ぎといわざるを得ません。すなわち、相続人の中に成年被後見人が存在することのみをもって、成年被後見人の財産確保の要請が優先され、被相続人と各相続人間に存する個別事情や各相続人の意思が捨象されてしまい、本来ならば行われるはずであった相続人間の公平を企図する協議が制限を受けるのでは、法が求める以上に成年被後見人を保護することになり、成年後見制度が不公平な相続を招来してしまうことになると考えます。
(3)遺産分割協議において成年後見人に求められるもの
遺産分割協議において、成年被後見人の意思表示は、成年後見人が代わって行わざるをえません。そこでの意思表示は、遺産の分割方法に影響する具体的事情(客観面)及び推測される成年被後見人の意思(主観面)を可及的に斟酌して行うべきものです。成年後見人がそのような配慮もなしに遺産分割協議に参加し、成年被後見人の法定相続分の確保を頑なに主張したならば、本来は円滑円満にまとまるはずであった協議を長期間の紛争の端緒に変えてしまうことにもつながるでしょう。それが成年後見制度の企図する状況でないことは明らかです。
したがって、遺産分割協議において成年後見人がなすべきことは、形式的に成年被後見人の法定相続分確保を主張することではなく、可能な限り、遺産の分割方法に影響する具体的事情及び推測される成年被後見人の意思を協議に反映できるよう尽くし、本来の公平かつ円滑な協議を形成することにあると考えます。
以上を原則とすべきですが、遺産分割協議に成年被後見人が関与している以上、成年被後見人保護の視点から遺産分割内容を見直す余地は残しておくべきです。たとえば、相続人間の公平のみを企図して行われた遺産分割協議の結果によれば、成年被後見人の相続分が極端に少なくなるなどして、遺産及び法定相続分から期待された程度の財産状況の改善が見込めずに成年被後見人の今後の生活の見通しが立たない場合には、成年被後見人保護の側面を強調し、相続人間の公平を相当程度崩してでも、遺産から成年被後見人が財産的支援を受ける内容となるように遺産分割内容を再検討することが望ましいと考えます。そうすることは、先述したことと矛盾し、相続制度の枠組みを超えて成年後見制度が機能することになるので、あくまで例外的対応となりますが、成年被後見人が関与する遺産分割の場面における相続人間の実質的公平の実現にも適うと考えることができます。
したがって、成年後見人は、遺産分割協議の結果が、遺産及び法定相続分から期待された程度の財産状況の改善が見込めずに成年被後見人の今後の生活の見通しが立たないような場合には、再協議を申し出て、成年被後見人の財産状況が改善されるような分割内容となるよう調整を尽くすべきであると考えます。
(4)成年後見人の行動規範
以上をまとめると、「遺産分割協議において、成年後見人は、まずは、可能な限り遺産の分割方法に影響する具体的事情及び推測される成年被後見人の意思を協議に反映させて本来の公平かつ円滑な協議の形成を促し、その上で、遺産分割協議の結果によれば、遺産及び法定相続分から期待された程度の財産状況の改善が見込めずに成年被後見人の今後の生活の見通しが立たない場合には、再協議を申し出て、成年被後見人の財産状況を改善する分割内容となるよう調整を尽くすべきである。」との、遺産分割協議における成年後見人の行動規範を構築できます。
(5)遺産分割協議規範
上述した行動規範を、遺産分割協議書等から客観的に判断できるように修正すると、「成年後見人が参加した遺産分割協議には、遺産の分割方法に影響する具体的事情及び推測される成年被後見人の意思が可及的に反映されるべきである。もっとも、協議決定された遺産分割方法では成年被後見人の財産状況が改善せず、かつ、成年被後見人の今後の生活の見通しが立たない場合、遺産及び法定相続分から期待された程度に可及的に近接するように分割方法を再調整すべきである。」とすることができます。
成年後見人は、遺産分割協議の適法性及び妥当性を判断する上で、この遺産分割協議規範(以下、単に「規範」といいます。)を基準としています。
2.相続分に関する相続人間調整の許容性
以下では、前項で表示した規範を基準として、本件遺産分割協議の是非を検討します。
(1)2つの調整内容
本件遺産分割協議において、法定相続分を踏み越えた相続人間における特別な相続金額の調整は、現金の分割(協議書案第3条)において行っています。その中でも、甥が立て替えて支出していた金額を、相続人各自の本来負担すべき割合で配分し直した葬儀及び相続等手続費用分の調整(同条第2項第5号)は除かれ、被相続人の宅地購入時に被代襲者が支出した支援金に関する調整(同条同項第1号)及び祭祀主催者である甥に対する支援金による調整(同条同項第2号)がそれにあたります。
2つの調整の内容は次のとおりです。被代襲者が宅地購入時の支援金として当時支出した金額は○○万円で、それにこれまでの法定利息相当額を加えた額○○万円を甥に配分しています。祭祀主催者に対する支援金としては、祭祀主催者となる甥の菩提寺において必要となる法要の回数及びお布施の金額等の特性を考慮し○○○万円を甥に配分しています。
そこで、この2つの調整を中心として、本件遺産分割協議の内容が、規範に適合するかを検討します。
(2)具体的事情が可及的に反映されているか
2つの調整の原因となる、被代襲者による過去の被相続人への少額な金銭支出及び甥の祭祀主催者への就任は、法的に特に斟酌すべき事実ではないと認識していますが、相続人の任意に委ねられる遺産分割協議において相続金額の調整を行う上では、相続人の一方に現実的な支出及び支出の高い蓋然性が認められることから、規範でいうところの「遺産の分割方法に影響する具体的事情」(以下、「」表記で規範の文言を表示します。)に当たると考えます。
協議においては、これら以外の事実も甥から報告されましたが、いずれも金額換算することが困難であったため調整対象から除外しました。それは、調整の対象が現金の配分ですので、金額換算が困難な事実まで無理に調整を試みることは合理性がないと判断してのことです。このように一定の合理性を有する具体的事実のみに調整対象を絞ることは、「可及的に反映」という文言に適合すると考えます。一定の合理性を有しなければ、「遺産の分割方法に影響する具体的事情」であったとしても、「反映」すべき事実に当たらないからです。
また、算定した配分金額についてですが、算定する上で考慮した事項が法定利息及び祭祀の特性であり、考慮することに一定の合理性が認められるので、これらを考慮し配分金額を算定することで、「遺産の分割方法に影響する具体的事情が可及的に反映」されたことになると考えます。
以上からすれば、本件遺産分割協議の内容は、2つの調整を行うことによって、「遺産の分割方法に影響する具体的事情が可及的に反映されている」と考えます。
(3)成年被後見人の意思が可及的に反映されているか
一方で、遺産分割協議に成年被後見人の意思を可及的に反映させるために、成年後見人は、成年被後見人本人及びその3人の子と直接面談して意思確認を行いました。前提として、面談時の成年被後見人は、すぐに自分の行ったことを忘れてしまいましたが、過去の記憶は保持しており、短時間の問答は違和感なく行える状況にありました。成年被後見人によると、現在まで被相続人の所在さえ知らずに過ごしてきたため相続など考えたこともなく、遺産を積極的に相続する意思などないということでした。また、3人の子によれば、自分たちは被相続人に会ったこともなく、相続に関して意見する立場にないため、父親の相続放棄を兄妹間で話し合ったとのこと、放棄せずとも遺産の配分は一方の相続人である甥側に全面的に委ねるということでした。結局のところ、成年被後見人及びその3人の子に積極的に遺産を相続する意思はなく、むしろ相続放棄を考えるような意向でした。その意思は、その後幾度かお目にかかって、法定相続額を具体的に提示して説明しても、ほとんど変化しませんでした。
以上からすれば、2つの調整は、相続するとしてもその相続金額は甥側に多く配分されるべきであるという「成年被後見人の意思」を、先述しましたように一定の合理性を有する範囲において「可及的に反映」していると考えます。
(4)財産状況への影響を理由とする再調整の必要性
さらに、遺産分割協議の結果が成年被後見人の財産状況に与える影響を考慮し、「遺産及び法定相続分から期待された程度に可及的に近接するように分割方法を再調整すべき」か否かを検討します。
本件遺産分割協議の結果、成年被後見人は、金銭だけで約○○○○万円を取得することになります。現在において、成年被後見人は現金及び金融資産をほとんど有していない状況ですので、相続により著しく「財産状況が改善」することになり、今まで不可能であった介護施設に入所する可能性が生まれるなど、余命期間を長く想定したとしても「今後の生活の見通しが立」つことになりました。したがって、これ以上「分割内容を再調整」することは必要ないと考えます。
(5)結論
以上の検討により、成年後見人としては、本件遺産分割協議が適法かつ妥当なものであると判断します。
成年後見人といたしましては、甥に一定の譲歩をした遺産分割内容で決着をし、調停を必要とするような紛争を回避して円滑円満に相続手続を完了させ、いち早く成年被後見人の生活状況の改善を図りたいと考えています。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
以上