自由とは何か。(2) 民主主義の主体である「私たち」について
先回は、自由概念のパラダイムシフトとして、自由概念の定義を「私のことを私で決めること」から「あなたのことをあなたで決めること」とするべきだとお話ししました。
民主主義の定義についてはどうか。
そうすると、これまで「私のことを私で決めること」を包含しているとしていた民主主義の定義である「私たちのことを私たちで決めること」については、どうでしょうか。「あなたたちのことをあなたたちで決めること」などと変える必要が生ずるでしょうか。
「あなた」と「私」は「私たち」
これについては、変える必要はありません。いや、変えるべきではありません。「あなたちのことをあなたたちで決めること」などと変えてしまえば、それはもう民主主義ではなくなります。なぜなら、原理的自由の主体である「私」が抜け落ちてしまっているからです。自由概念の再構築によるパラダイムシフトは、社会を前提とした「私」と「あなた」双方の十分な自由保障に目的はあるのであって、「私」を対象から除外することにあるのではありません。
そして、「あなた」と「私」で「私たち」を構成するのですから、「あなたのことをあなたで決めること」も、「私のことを私で決めること」も、「私たちのことを私たちで決めること」に包含されているので、自由概念のパラダイムシフトが民主主義の定義に何ら影響を及ぼしません。民主主義は「私たちのことを私たちで決めること」なのです。そのままです。