自由とは何か
その人にないもの、その人にあるもの。
とても裕福な家庭に生まれて、何も心配することなく親が決めた進路を辿り、現在も親の意向に従いながら幸せに暮らす人にはなく、貧しい家庭に生まれて、家庭の苦しい経済事情を考えながら自分の進路を決定せざるを得ず、現在も日々経済的決断を余儀なくされつつ細々と暮らす人にあるもの。
学校の成績がよく、先生に認められて先生の指南通りの学校に進学し、現在は就職先の大企業の意向に従順に沿いながら働き裕福に暮らす人にはなく、学校の成績がてんでダメで先生から見放されたため自ら進学ではなく就職する道を選択し、現在は独立して厳しい経営状況を切り盛りしながら暮らす人にあるもの。
民主主義国家に生まれて、選挙権を有しながらあれやこれや理屈をつけてその行使をせず、現状に不満を抱かずに幸せに暮らす人にはなく、独裁国家に生まれて、民主主義を求めて国家体制の転換を企図し、治安機関に睨まれながら不満を力に変えて暮らす人にあるもの。
それが自由です。
自由とは何か
自由という観念は、状況ではなく人間の意志に係るものです。したがって、たとえば、どこにでも行けるという状況があっても、自分でどこに行くと決めないかぎり、自由があるとはいえませんし、なんでも手に入る状況があっても、自分で選択することなしに全てを与えられていては、自由であるとはいえません。
そして、「幸せ」とか「満足」という状況認識とも直接的には連関していないのです。したがって、幸せであるから自由とはいえず、逆に自由であるから幸せともいえないのです。
私はこれまで幾度も自由(自由主義)について「私のことを私で決めること」と表現してきました。これはすなわち「自己決定」なのです。自由とは、自己決定なのです。自由であるか否かは、自己決定の有無で決まります。