立憲民主主義
立憲民主主義という言葉があります。憲法に拠って立つ民主主義ということで、憲法は個人の自由を保障するためにありますから、立憲とは自由主義と同義です。つまり立憲民主主義とは自由を包摂した民主主義のことです。
民主主義は個人の自由実現という目的のためにのみ意義を有するということは何度も述べてきました。この目的が抜け落ちてしまったものは、もはや民主主義ではなくなってしまいます。
そうすると、立憲民主主義などと、民主主義が包摂している自由をわざわざ重ねて頭に冠することは不要なのです。
なぜ立憲民主主義などという言葉があるのかといえば、自由を包摂しない民主主義があると考えるからです。多数決主義的民主主義などと言われます。しかし、わざわざこのような概念に民主主義という言葉を使う意義はないのです。むしろ、民主主義の意味を誤解する契機となってしまうことが危惧されます。民主主義と自由主義は対立するという誤解につながるということです。
ここまで述べてなんですが、かくいう私も、民主主義をそれ自体は意義のない多数決主義的民主主義というふうに捉えていました。それは間違った民主主義概念に数多く接したことによるアレルギーのようなものだったのでしょう。しかしそもそもそんな捉え方自体が矛盾をはらんでいることに気付き、はじめから正しく自由主義を包摂したものを民主主義として捉えればいいのではないかと思うようになりました。
分かりづらい話になってしまいましたが、わざわざ立憲民主主義という言葉が必要になるほど、世の中には「名ばかり民主主義(多数決主義的民主主義)」が溢れているということでしょうか。