適法性と妥当性
政治資金の使途や報告につき違法か適法かを判断することは裁判所や法律家の仕事であるが、妥当(適切)か不当(不適切)かを判断することは政治家の使命である。
なぜなら、政治資金の使途の妥当性については、一般的に法律家は門外漢であり、政治家こそがプロフェッショナルだからである。政治家が政治資金の使途を判断し報告し、それを有権者が評価し投票に反映させるしくみである。
そうすると、政治資金の使途について政治家自らが判断せずに、法律家に判断を丸投げすることは、有権者から与えられた政治家の使命を放棄することに等しい。
つまり、政治資金の使途についての妥当(適切)性に関して求められているのは、政治家の主体的な判断であって、法律家の客観的な判断ではない。
客観的評価が公正性を担保するという原則に異議はないが、政治資金の使途の妥当性については、この原則が妥当せず、政治家の主観的評価の透明性が要求されているのである。
ちなみに、政治とは憲法の普遍的価値を具現化することであるが、その具体的手段は税金の配分である。どのようにお金を使うのかが政治である。とすれば、お金の使い道を主体的に判断できなければ、政治家たる資格がないことは明白である。